人間は特別な存在か-1
地球上の生物の中で、人間というのは特別な存在なのでしょうか。特別だとしたら、どのように特別なのでしょうか。
すべての生物の祖先は、38億年ほど前に生まれたひとつの生命である、と考えられています。その生命が、長い間に変化を重ね、現在のような多様な生き物が生まれました。生き物が、世代を重ねる中で環境に合わせて少しずつ変化していくことを「進化」と呼びます。
進化を、階段のようなものとしてイメージすることがあります。進化というのは、単純で下等な生き物から、より複雑で優れた高等な生き物が生まれることであり、少し高等な生き物からさらに高等な生き物が生まれ・・・と階段を登るように進む、というイメージです。
このイメージにおいては、人間は特別な存在だと言えるでしょう。どの生き物よりも進化した、最先端にして最優秀、「万物の霊長」です。「バクテリアから人間に至る進化の階段」などという表現も見たことがあります。最高峰にある人間のプライドをくすぐる表現です。
かつて進化はこうした階段のイメージで語られることが多く、現在でもそうしたイメージを持っている人は多いかもしれません。「進化」という言葉自体に「優れたものに変化する」というニュアンスがあります。進化が進むほど高等な生き物になる、というのは分かりやすい考え方です。
ですが実際は、進化は階段よりも枝分かれする樹木のようなイメージで捉える方が適切です。ある生き物の集団が、何らかの理由で――例えば、その集団が住んでいた領域の間に壁ができて、行き来ができなくなってしまったりして――ふたつの集団に分かれます。時間が経つにつれて、それぞれの集団の間で遺伝的な変化が起こり、住んでいる環境に合わせて変化していきます。ふたつの場所の環境が異なっていれば、変化の仕方も当然違ったものになるでしょう。たとえ似たような環境であったとしても、その環境に合わせた変化の仕方がふたつの集団で同じとは限りません。やがてふたつの集団は、それぞれに変化を遂げて、異なる生き物になっていきます。
こうしたことが地球上のあちこちで、数え切れないほど起こります。ある集団がふたつの集団に分かれ、分かれたそれぞれの集団がさらにふたつの集団に分かれ・・・ということを繰り返し、その結果、現在のように多様な生き物が生まれました。(分かれるのはいつもふたつとは限りません。三つに分かれることも、それ以上に分かれることもあるでしょう。一度は分かれたように見えた集団が、何かの拍子に一緒になり、混ざり合って区別がつかなくなることもあるかもしれません。)これを図で表すと、枝分かれを繰り返す、大きな樹のようになります。
すべての生物の祖先は、38億年ほど前に生まれたひとつの生命である、と考えられています。その生命が、長い間に変化を重ね、現在のような多様な生き物が生まれました。生き物が、世代を重ねる中で環境に合わせて少しずつ変化していくことを「進化」と呼びます。
進化を、階段のようなものとしてイメージすることがあります。進化というのは、単純で下等な生き物から、より複雑で優れた高等な生き物が生まれることであり、少し高等な生き物からさらに高等な生き物が生まれ・・・と階段を登るように進む、というイメージです。
![]() |
| 「進化の階段」のイメージ |
そうした階段のイメージでは、たいてい最上段に人間が位置しています。下等な生き物から、進化に進化を重ねて、頂点に達した人間、地球上でもっとも優れた生き物である人間、ということです。
このイメージにおいては、人間は特別な存在だと言えるでしょう。どの生き物よりも進化した、最先端にして最優秀、「万物の霊長」です。「バクテリアから人間に至る進化の階段」などという表現も見たことがあります。最高峰にある人間のプライドをくすぐる表現です。
かつて進化はこうした階段のイメージで語られることが多く、現在でもそうしたイメージを持っている人は多いかもしれません。「進化」という言葉自体に「優れたものに変化する」というニュアンスがあります。進化が進むほど高等な生き物になる、というのは分かりやすい考え方です。
ですが実際は、進化は階段よりも枝分かれする樹木のようなイメージで捉える方が適切です。ある生き物の集団が、何らかの理由で――例えば、その集団が住んでいた領域の間に壁ができて、行き来ができなくなってしまったりして――ふたつの集団に分かれます。時間が経つにつれて、それぞれの集団の間で遺伝的な変化が起こり、住んでいる環境に合わせて変化していきます。ふたつの場所の環境が異なっていれば、変化の仕方も当然違ったものになるでしょう。たとえ似たような環境であったとしても、その環境に合わせた変化の仕方がふたつの集団で同じとは限りません。やがてふたつの集団は、それぞれに変化を遂げて、異なる生き物になっていきます。
こうしたことが地球上のあちこちで、数え切れないほど起こります。ある集団がふたつの集団に分かれ、分かれたそれぞれの集団がさらにふたつの集団に分かれ・・・ということを繰り返し、その結果、現在のように多様な生き物が生まれました。(分かれるのはいつもふたつとは限りません。三つに分かれることも、それ以上に分かれることもあるでしょう。一度は分かれたように見えた集団が、何かの拍子に一緒になり、混ざり合って区別がつかなくなることもあるかもしれません。)これを図で表すと、枝分かれを繰り返す、大きな樹のようになります。
![]() |
| 「進化の樹」のイメージ |
上の図のように樹の形で進化を表した場合、一番上の、枝の先端があるところが現在を表し、根元に行くほど古い時代を表します。無数に分かれた枝の先端は、それぞれ一種類の生き物を表しています。この図において人間は、数え切れないほどたくさんある枝のうちのひとつに過ぎません。人間を表す枝から、一番近い枝にはチンパンジーがいるでしょう。現在生きている生き物の中で、人間にもっとも近いのはチンパンジーだからです。いくらか離れた枝には犬がいるかもしれません。もっと離れると魚が、もっともっと離れるとクラゲが、もっともっともっと離れるとコンブがいるかもしれません。それぞれの枝は、根元をたどっていくと、すべての生命の共通祖先である最初の生命に行き着きます。つまり、すべての生き物は、最初の生命から始まり、38億年に及ぶそれぞれの進化の歴史を持っています。
このイメージだと、人間の「特別感」はぐっと薄くなります。人間は、数多の生き物の内のひとつに過ぎません。生き物として特別なわけではないのです。
ただ、私たちにとっては、人間は「自分自身を含む」という点で特別です。たとえば人間の身体についての知識は、私たちの病気を治すために不可欠なものです。その意味では、クラゲの身体についての知識と同等ではありません。
地球上のすべての生き物の中で、人間は、私たち自身であるという意味で「主観的に」特別な存在です。でも、「客観的に」は他のすべての生き物と同じく、地球上に生きるひとつの集団に過ぎません。
科学的には人間は特別な存在ではない。では、キリスト教においてはどうでしょうか?
このイメージだと、人間の「特別感」はぐっと薄くなります。人間は、数多の生き物の内のひとつに過ぎません。生き物として特別なわけではないのです。
ただ、私たちにとっては、人間は「自分自身を含む」という点で特別です。たとえば人間の身体についての知識は、私たちの病気を治すために不可欠なものです。その意味では、クラゲの身体についての知識と同等ではありません。
地球上のすべての生き物の中で、人間は、私たち自身であるという意味で「主観的に」特別な存在です。でも、「客観的に」は他のすべての生き物と同じく、地球上に生きるひとつの集団に過ぎません。
科学的には人間は特別な存在ではない。では、キリスト教においてはどうでしょうか?


コメント